
世界農業遺産「琵琶湖システム」Instagramアカウントにて開催されたおうちグルメキャンペーン!
※詳しくは世界農業遺産「琵琶湖システム」Instagramアカウントをご覧ください。
第7回の食材では、滋賀の名物で有名な「ふなずし」が登場しました!
「ふなずし」はフナを用いて作られた「なれずし」の一つです。
近年では「美容」や「健康」への効果も注目されており、飯を使ったスイーツなどいろんな食べ方がされています☝️
当選された方のアレンジレシピがInstagramに投稿されていますので、ぜひチェックして調理してみてください!
そして!
ふなずしの魅力をより多くの人に知っていただくために、魚治・七代目当主の左嵜治右衛門謙祐さんに取材させていただきました。
240年の歴史を守り続け、鮒寿しづくりに研鑽を続ける左嵜さんをぜひご覧ください。

創業天明四年(1784年)の老舗、魚治・七代目当主・左嵜治右衛門謙祐(さざきじえもんけんすけ)さんに、鮒寿しの魅力をうかがった。
魚治があるのは滋賀県高島市マキノ町海津。湖西エリアの北端に位置し、古くから湖上交通の要衝として栄えてきた。冬は雪深い地域だが、春になると海津大崎周辺の湖岸約4㎞にわたりソメイヨシノが咲き乱れ、桜の名所としても有名だ。

「最近は雪もそこまで積もりませんが、小学生の頃は、通学路が雪の壁になるほどでした。」
幼少期はやってみたいという好奇心や、大人と同じことをしたいという背伸び心から、すすんで家業の手伝いをしたという。晩冬から初春にかけては、主材料であるニゴロブナのウロコ取り。夏休みのお手伝いは、漬け桶の水替えを任されていた。中高生になると、両親の仕事が終わらないと晩御飯が食べられないと、熱心に手伝った。

「父や母から七代目を継げと言われたことはなかったです。高校生の頃は考古学者か、自動車のエンジニアになりたいと思って理系を選択していました。」
高校2年の冬、父とウロコ取りをしている時、進路について聞かれた。自身の夢について話していると、ふと父もほかにやりたかった仕事があったのではと気になった。
「職人としての姿しか知らない自分にとって、父は当然のように6代目を継いだものと思い込んでいました。でも、若い頃の父も他にやってみたい仕事があったみたいです。その時、家を継がないという選択をするには、もう家には戻らないという覚悟が必要だと感じました。」
自由に人生を選ばせてくれる父の背中が、後を継ぐか継がないか、そのどちらにも相応の覚悟が必要だと教えてくれた。
高校3年の春、希望進路を経営学部に変更し、文系を選択した。七代目を継ぐという覚悟を決めた瞬間だった。大学では経営学の知識を深めると同時に、多くの人との出会いを大切にした。
魚治は鮒寿しをはじめ、琵琶湖でとれる湖魚の加工のほか、琵琶湖を一望できる料亭旅館「湖里庵」も営んでいる。鮒寿し職人として、そして料理人としての修行が必要だった。

「大学卒業後は京都嵐山の料亭で修行しました。今ではもうないと思いますが、いわゆる丁稚として、料理を教わりました。」
3年間の厳しい修行を終えて魚治に戻った頃、父の体調が優れなくなってきた。一丸となって父を支える日々が続いた。
魚治の蔵には代々受け継がれてきた乳酸菌が棲みついている。父に代わって、蔵での作業「蔵持ちの菌のお守り」を続けた。
「うちの蔵には当主しか入りません。小学生の時から蔵でお手伝いをしてましたから、その頃から父は、いずれ七代目を継いでほしいと思っていたのかもしれません。」
魚治では、当主だけが担う仕事がある。それが「蔵の守り」と、本漬けの際に一緒に漬け込むお米を炊くことだ。蔵での作業は、50kgにもなる重石を動かすなど力仕事も多い。さらに、飯(いい)となるお米を一人で大量に炊き上げる。
「鮒寿しづくりで一番大事で難しいことが、同じ味、変わらない味をつくることです。同じ味をつくるには、受け継がれてきた菌を守り、その菌が好むお米を炊く。その年のお米の出来に合わせて炊き方を調整しています。分担作業では細部にわたって再現できないんです。」
真夏に漬け込み、二度の冬を越して仕上がる――魚治の鮒寿し。冬の寒さの中での低温熟成が鮒寿しをよりおいしくさせる。
本漬けの後は中身を直接確かめることはない。乳酸菌は空気を嫌うため、真空状態にしておかなければならない。桶に張った水の表情で菌の動きを読み取り、重石を加減する。窓を開け閉めして蔵の温度や湿度を整え、菌が心地よく働ける環境をつくっていく。

「余程長生きしない限り、職人が一生で漬け込む回数は30回程度です。ただ、私は初代から蓄積された200回を越える経験を受け継いでいます。それでも鮒寿しづくりの9割ぐらいでしょう。残りの1割を積み重ねるために、一生を掛けて研鑽を続けます。」

春になると一部のフナは琵琶湖から川を遡上し、外敵の少ない田んぼで産卵する。卵から孵った稚魚たちはそこで育ち、田んぼの水とともに琵琶湖に戻る。そんな循環が幾千年と繰り返されてきた。
「田んぼで獲れたフナと、田んぼで採れたお米をあわせて作られてきた鮒寿しは、田んぼが生んだ食べ物ともいえます。自然・生き物・人がお互いにいい関係だったから、脈々と続いてきたのだと思います。高度成長期、圃場整備等によって、昔のように魚が川を遡上して田んぼに上がってくることは少なくなりました。琵琶湖をはじめ、自然・生き物を取り巻く環境は大きく変わりました。かつての様な循環を取り戻すには、人が俯瞰して見ているのではなく、人もその循環の一つとして加わる。そういった、本当のサステナブルを目指すべきだと思います。」
鮒寿しの出来栄えを、どのように判断されますか?
「2年ぶりに蓋を開け、まずは飯(いい)を食べます。飯が美味しければ、鮒の身は食べるまでもなく美味しいと分かります。」

鮒寿しのおすすめの食べ方を伺った。
「初めて食べる方には、お茶漬けで食べるのがおすすめです。体に染みるような美味しさがあり、本能的に体が求める味だと感じます。ご飯一膳に対して鮒寿しの身を二切れほど乗せ、味の調整は飯(いい)で行います。」

左嵜治右衛門謙祐さんにとって、鮒寿しとは?
「2年という長い時間をかけて作る、自分の分身です。かつては家庭の味として、今は滋賀県を代表する伝統的な食べ物として認知されていますが、滋賀県の人でも食べたことのない方が多くなっています。初めての方でも抵抗なくお召し上がりいただけて、日常にたまに顔を出す食材として、みなさんに気軽に食べていただける。そんな鮒寿しをこれからも作り続けていきます。」

回り続ける循環の中に、一つの歯車として身を置き、時代の変化に自らをかみ合わせる。そうして変わらぬ味を作り続ける毎日が、240年の伝統に積み重なる。
今日も一人、左嵜さんが蔵にいる。

